英語を使う生活に慣れていても、日本人と話したくなる瞬間がある

これは、英語ができる、できないの話ではない。

どちらが良いとか、すごいとか、そういう話でもない。

ただ、カルガリーで生活していて、

自分の中で何度か感じたことを書こうと思った。

気づけば、英語を使う時間の方が長くなっていた。

仕事も英語だし、

家族との会話も英語だし、

生活のほとんどは英語で回っている。

日常会話で大きく困ることはないし、

生活自体は、わりと普通に成り立っている。

それでも、

ふとした瞬間に、日本人と話したくなることがある。

なぜそう思うのか、少し考えてみた。

例えば、ちょっと疲れたとき。

英語で話すのがしんどいわけじゃない。

ただ、言葉を選ばなくても通じる感じは、

やっぱり日本語のほうが近い。

細かいニュアンスとか、

わざわざ説明しなくても分かってもらえる感じとか。

英語でも伝わらないわけじゃないけど、

少しだけ距離があって、

その分、体力を使う気がしている。

話題も少し違う。

子どもの頃に見ていたテレビとか、

当時流行っていたものとか、

特別な説明がいらない共通の記憶。

そういう前提で話せるのは、

日本人同士のときが多い。

カナダに来てしばらくは、その違いをあまり意識していなかった。

英語しか使わない環境にも慣れていたし、

それが当たり前だと思っていたから。

でも、日本人と久しぶりに話したとき、

「あ、こういう感じだったな」と思った。

盛り上がったとか、

特別な話をしたとか、

そういうことでもない。

ただ、

少し力を抜いて話せた。

英語を使う生活に慣れていても、

日本人と話したくなる瞬間はある。

それは、

英語が足りないからじゃなくて、

日本語が自然に出てくる瞬間があるだけなんだと思う。

カルガリーで生活していると、

そういう瞬間が、たまに訪れる。

そして、そのときに

日本語で話せる場所があるかどうかで、

気持ちの楽さは、けっこう変わる。

和の輪を作り始めたのも、

たぶん、そういう感覚があったからだと思う。

ただ、日本語で話せる場所があったらいいな、と思った。

それだけだった。

英語を使う生活に慣れていても、

日本人と話したくなる瞬間がある。

たぶんこれは、

長く海外で暮らしている人にとっては、

そこまで珍しいことでもない気がしている。