正直な話

きれいごとなしで書く、海外生活の本音。楽しかったことも、しんどかったことも、そのまま残しています。

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孤独の中で作ったアプリが、コミュニティになり始めた話

正直、カナダの日本人コミュニティアプリ和の輪を作っていて、孤独だった時期もある。 ちゃんと意味があるのか分からないまま、夜中にコードを書いていた。 家族が寝静まった後、静かなリビングで一人パソコンに向かう。 これ、本当に誰かの役に立つのかなと思いながら、それでも手を動かしていた。 数字は増えていたけど ダウンロードは少しずつ増えていた。 イベントに顔を出したり、SNSで発信したり、自分なりに動いてはいた。 でも、それが誰なのか分からない。 ただの数字にしか見えなかった。 使ってくれているのか、本当にその人の役に立っているのか。 それも分からないままだった。 自分のアプリが誰かのスマホに入っていた ある日、日本人の方と初めて会った。 雑談の流れで、実は和の輪というアプリを作っていてと話したら、 和の輪の開発者さんなんですか? と言って、スマホを見せてくれた。 そこには、ちゃんと和の輪が入っていた。 自分の作ったものが、誰かの生活の中にある。 ダウンロードしてくれている人がいることは頭では分かっていた。 でも、どこかでまだ信じきれていない自分もいた。笑 その人のスマホの中にある和の輪を見たとき、やっと実感できた。 ああ、本当に使ってくれている人がいるんだと。 そのとき初めて、数字が人になった。 応援していますと言われた日 和の輪は完全無料で運営している。 サーバー代も開発時間も、全部自己負担。 続けられるのかな、と不安になることも正直ある。 そんな中で、 応援しています 少しですが支援させてください と言ってくれる人がいた。 金額の大小じゃない。 自分のやっていることを、価値あるものとして受け取ってくれたことが嬉しかった。 孤独の中で続けてきた時間が、少し報われた気がした。 一人で作っているはずだったのに 和の輪には、日本人オーナーのビジネスを紹介する機能がある。 でも、日本人ビジネスって意外とネット上で見つからない。 どうやって探せばいいのか分からず、正直困っていた。 そんなときに、 この人も日本人ですよ ここもそうですよ 繋ぎますね と、いろいろ紹介してくれる人が現れた。 自分一人で作っているつもりだったのに、気づけば誰かが中身を一緒に育ててくれている。...

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あの噂のカナダに来た日本の卵サンドイッチ食べてみた

カナダのセブンイレブンに日本のタマゴサンドイッチが来ると噂になっていた。 カルガリーにいる日本人のInstagramの投稿は、みんなタマゴサンドイッチになっていた。 やっぱり皆、日本のものがカナダに来たらウキウキするよね、と思いながら見ていた。 正直、日本にいた頃はそこまで卵サンドを買っていたわけじゃない。 でもこれは試さないといけないと思って、早速セブンイレブンに買いに行ってきた。 すると・・・ 見事に売り切れていた。 店員さんにも聞いて、再度確認してもらったけどやっぱりなかった。 ちょっと悔しい。 次の日、またセブンイレブンに行った。 同じ店員さんがいて、 “You are back.” と苦笑いされる。 でも今回はしっかりゲット。 妻の分と2つ買って、ワクワクしながら帰宅。 そして試食。 素直に、美味しかった。 パンもちゃんとふわっとしているし、卵もたっぷり入っている。 なんとなく懐かしい感じがして嬉しくなった。 でも。 値段は5.95ドル。 ここで、日本人の脳が勝手に円換算を始める。 「これ、日本なら300円台では…?」 日本のコンビニの卵サンドって、安いのに完成度が高い。 ふわふわで、均一で、安定していて、しかも安い。 それを思い出すと、正直6ドルはちょっと高い。 もう一回買うか問題 じゃあ、もう一回買うかと聞かれたら。 うーん。 頻繁には買わないかもしれない。 でも、たまに見かけたら、ちょっと嬉しくなって手が伸びる気はする。 「Japanese-Style」と書かれた卵サンドが、カルガリーの棚に並んでいる。 それだけで、ちょっと誇らしい。 海外あるある 海外にいると、日本では当たり前だったものがちょっとしたイベントになる。 卵サンド一つで、 ・日本人のInstagramが埋まり ・売り切れになり ・翌日また買いに行く人がいる なんだか面白い。 卵サンドが売り切れていたのが、日本人の影響かどうかは正直分からない。 でも、この話題で盛り上がれる人たちがこの街にいる。...

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英語が問題なくても、海外生活が楽とは限らなかった

英語ができれば大丈夫だと思っていた 海外で暮らすなら、まず英語だと思っていた。 英語ができれば、生活はなんとかなる。 仕事も見つかるし、困ったときも対応できる。 実際、僕は英語で大きく困ることはなかった。 仕事も英語だし、家族との会話も英語。 日常生活も普通に回っていた。 だから、海外生活はわりとスムーズだと思っていた。 でも、しばらくして気づいた。 楽かどうかは、英語とはあまり関係なかった。 困ったのは英語じゃなかった 困ったというより、じわじわ来る感じ。 全部が自分の文化じゃない。 スーパーに並んでいるものも、 みんなが盛り上がっている話題も、 当たり前だと思っている前提も。 英語で理解はできる。 でも、自分の中に積み上がってきた背景とは違う。 説明しないと伝わらないことが増える。 当たり前だと思っていた感覚が、当たり前じゃない。 ひとつひとつは小さい。 でも、それが積み重なると少し疲れる。 気づいたのは居場所の大事さ 英語ができるかどうかよりも、 自分のままでいられる時間があるかどうかのほうが大きかった。 日本語で話せる時間。 説明しなくても通じる感覚。 それがあるだけで、少し呼吸が楽になる。 海外生活は、英語の問題だけじゃない。 どこかで気を張っている状態が続くと、 気づかないうちに疲れている。 知っておいてほしいこと これから海外に来る人に伝えたいのは、 英語だけを準備すればいいわけじゃないということ。 生活は回る。 仕事もできる。 でも、自分が落ち着ける場所をどう作るかは、 あまり語られない。 もし可能なら、 自分の言葉で話せる場所をひとつ持っておくといい。 それだけで、海外生活の感じ方は変わる。

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カルガリーで日本人としての居場所が欲しいと思った話

家族がいても、ふと感じる「ちょっとした違和感」 結婚して、家族ができて、生活としては、かなり安定していたと思う。 妻はカナダ出身。 だから妻と息子とは英語で話しているけど、 英語で困っているわけでもない。 だから、コミュニケーションが取れなくて 「寂しいです」と言うのは、少し違う気がしていた。 ただ、なんとなく引っかかる瞬間はあった。 生活は順調。でも、気持ちは意外とシンプルじゃなかった 日常は、ちゃんと回っている。 仕事もあって、家もあって、家族もいる。 自分では、結構順調で、幸せな生活を送っていると思っていた。 それでも、深刻ではないけど、無視できるほど小さくもない違和感があった。 足りないものがある、というより、どこか自分の一部が静かになっている感じだった。 日本語で話すと、ちょっと呼吸が楽になることに気づいた たまに日本人と会って話すと、自分が少しリラックスしていることに気づいた。 盛り上がる話をしているわけじゃなくても、説明しなくていい会話が続く。 内容よりも、その空気そのものが心地よかった。 「あ、こういう感覚だったな」と思った。 だから、居場所を作ろうと思った 日本人が近くにいる感覚を、もっと気軽に感じられたり、ふらっと日本人に会える環境があれば、 この違和感は少し薄くなるんじゃないかと思った。 そして、僕と同じように感じている人が、他にもいる気がした。 だから、和の輪を作った。 近くに、こんなにも頑張っている日本人がたくさんいるんだ、ということが感じられて、気軽につながりを作れるアプリ。 大げさな使命感があったわけじゃない。ただ、「あったらいいな」を形にしただけだった。 作ってみて、分かったこと ローンチしてみると、いろんな人から温かい言葉をもらった。 話を聞いていると、「自分も同じことを感じていました」 と言ってくれる人が多かった。 それが分かって、 あ、自分だけじゃなかったんだな」と思えた。 結果的に、孤独がなくなったというより、気持ちがずいぶん軽くなった気がしている。

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英語を使う生活に慣れていても、日本人と話したくなる瞬間がある

これは、英語ができる、できないの話ではない。 どちらが良いとか、すごいとか、そういう話でもない。 ただ、カルガリーで生活していて、 自分の中で何度か感じたことを書こうと思った。 気づけば、英語を使う時間の方が長くなっていた。 仕事も英語だし、 家族との会話も英語だし、 生活のほとんどは英語で回っている。 日常会話で大きく困ることはないし、 生活自体は、わりと普通に成り立っている。 それでも、 ふとした瞬間に、日本人と話したくなることがある。 なぜそう思うのか、少し考えてみた。 例えば、ちょっと疲れたとき。 英語で話すのがしんどいわけじゃない。 ただ、言葉を選ばなくても通じる感じは、 やっぱり日本語のほうが近い。 細かいニュアンスとか、 わざわざ説明しなくても分かってもらえる感じとか。 英語でも伝わらないわけじゃないけど、 少しだけ距離があって、 その分、体力を使う気がしている。 話題も少し違う。 子どもの頃に見ていたテレビとか、 当時流行っていたものとか、 特別な説明がいらない共通の記憶。 そういう前提で話せるのは、 日本人同士のときが多い。 カナダに来てしばらくは、その違いをあまり意識していなかった。 英語しか使わない環境にも慣れていたし、 それが当たり前だと思っていたから。 でも、日本人と久しぶりに話したとき、 「あ、こういう感じだったな」と思った。 盛り上がったとか、 特別な話をしたとか、 そういうことでもない。 ただ、 少し力を抜いて話せた。 英語を使う生活に慣れていても、 日本人と話したくなる瞬間はある。 それは、 英語が足りないからじゃなくて、 日本語が自然に出てくる瞬間があるだけなんだと思う。 カルガリーで生活していると、...

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